石膏ボードを運ぶだけの荷揚げ屋の仕事に限界を感じた20代後半の転機

人生を変える転機は何度も訪れると思いますが、私の人生の転機は20代後半に訪れました。


それまで地元の広島の修道大学を卒業して、当時から続けていた建築現場の日雇い作業員の仕事をそのまま続けていました。


学生時代にはこの仕事もわりにあったのが、時給が1000円で一日働くと8千円になったので、学生からしたら割のいいアルバイトでした。さらに、運転などをすると日当が1万円くらいになることもあったので、給料的には当時は満足していました。


仕事は主に、石膏ボードを運ぶだけの仕事で、いわゆる荷揚げ屋という仕事になります。大工さんが自分たちで石膏ボードを運ぶと大変なので、荷揚げ屋に運ぶのを依頼するのです。


荷揚げ屋は石膏ボードを一日中運ぶ必要があるので、それなりに体力と筋力が必要です。私の場合は、9.5mm、12mmの石膏ボードを当時で4枚平均で運んでいました。


また、若い人が多いのも特徴で、その時は、最大で何枚持てるかなんてやっていたこともあります。ちなみに、私の最高枚数は9.5mmが10毎で、同僚の最大は14枚です。


大工さんからしたら大量のボードを運ぶのも大変なので、荷揚げだけ手伝ってもらうなんて事がよくあり、仕事はわりとありました。


こんな事をしていたので、段々と腰を痛めたり、徐々に体に限界を感じるようになりました。それが20代後半ですね。そういった仕事を続けてご飯を食べていくのはちょっと厳しいと感じていたちょうどそのころ、同僚の一人が専門学校に通いだし、その後、IT業界に転職してしまいました。


将来に不安を感じる私を尻目に、東京に上京し華麗にIT業界に転職してしまった同僚。20代後半で彼女はいましたが、このまま結婚して、子育てなんかできるのかと本当に不安になりました。

 

そもそも日雇いの仕事は毎日ないですし、月収は10万円くらいのときもあります。間違いないなく人生終わります。この日雇いの仕事は二つにわかれます。

 

長く続く人はこのまま一人でだらだらと仕事を続ける。未来がある人はあくまで一時的なお金稼ぎでやめる。早く抜けないとずるずる続けてしまうことになります。

 


私もそこで始めて、本気で自分の状況について真剣に考えるようになり、本気で転職活動をスタートしました。


その後、地元の広島で営業をしたり、職を転々としましたが、結果、営業は合わないと思い、同僚と同じIT業界に転職する事にしました。


最初は、派遣会社でしかも総支給額が15万円と激安でしたが、そこから、1年近くで月収25万円ほどまで上げて、そこから残業を含めると、日雇い作業員時代よりも稼げる状態になりました。


結果、今は夢を持って仕事が出来る状態になりました。今は、IT関連のエンジニアのフリーランスとして月収が54万円ほどあります。当時では考えられない月収です。


人は危機感を感じないと本気で変われないということを経験できたいいターニングポイントになりました。


例えば、この仕事が嫌と言いながらも、転職後は同じような職種に転職してしまっては、大きな変化はありません。変化を求めるなら、私のように別業種に転職するくらいのことをしないと、大きな変化は起きないと思います。


自分を変えるのは自分しかありません。現状を変えたいなら、まずは危機感を持つことが大切ですね。

 

 

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